2019年10月末から3週間ほどイスラエル・パレスチナ・ヨルダンに滞在していました。
日本では報道番組などでよく聞く地名ですが、どちらかというと物騒なニュースで登場することが多く、日本の友達からもよく治安の心配などをされていました。
が、イスラエルやパレスチナで実際に何が起きているか、何が問題なのか、あまりわかっていないという方は意外と少なくないのではないでしょうか?
そこで今回は、知らない人向けに、イスラエルやパレスチナとはそもそもどこにあって、何が問題でめているのか、簡単にわかりやすく説明していきたいと思います。
僕個人が勉強したこと、実際に体験したこと、現地の人などから聞いたことなどをベースに記事にしていますが、こういった問題は人によって意見が異なるので、気になる方はいくつかの情報に触れていただくことをおすすめします。。
イスラエルとは
イスラエルは、1948年に建国された中東の小国です。レバノン、シリア、ヨルダン、エジプトといった国に隣接しています。
約2000年前にこの地を追われたユダヤ人は、世界各地で散り散りに暮らしていましたが、自分たちの国をつくりたい!ということで第二次世界大戦後にこの地に戻ってきて、イスラエル建国を宣言しました。
とても簡易的に説明をすると、ユダヤ人とはユダヤ教を信じる人たちを指します。なのでイスラエルの国旗にはユダヤ教の伝統的なシンボルが真ん中に描かれています。(ユダヤ人の正確な定義については人によって意見がわかれています)
ちなみにイスラエルが建国される前は、この地はパレスチナと呼ばれていました。
パレスチナ自治区とは
パレスチナ自治区とは、イスラエルの中にある2つエリアを総称した呼び方です。
イスラエル建国前(パレスチナと呼ばれていた時代)、ここにはユダヤ人だけでなく沢山のアラブ系民族も住んでいました。彼らもまた、ユダヤ人と同じように自分たちのアラブ国家をつくろうとしていました。
第二次世界大戦後、ユダヤ・アラブ双方が建国をしようと問題になっていたため、国連がパレスチナにやってきて、パレスチナを「①ユダヤ系国家」「②アラブ系国家」「③国連直轄地」に3分割しようと提案します。アラブはこの案を拒否した一方、ユダヤは分割案を承認しイスラエル建国を宣言。これによってアラブとユダヤの対立が深刻化し中東戦争が始まりました。そんな問題が起きる中で、アラブ系民族が住み着き独自の政府を設立した場所が今のパレスチナ自治区です。
イスラエルという大きなユダヤ系国家の中にある、アラブ系自治区がパレスチナ自治区ということです。
エルサレムとは
上で書いたパレスチナ分割案で「③国連直轄地」にあたる土地がエルサレムです。イスラエル自身(ユダヤ人)は自らの首都をエルサレムと称してるものの、国際的にそれは認められていません。エルサレムはイスラエルのものではなく国連直轄地なので。(1967年の第三次中東戦争後はイスラエル側が実質的にエルサレムを管理をしてるみたいですが)。
なぜ国連はエルサレムを直轄地としたのか
それはエルサレムが3つの宗教(ユダヤ教・イスラム教・キリスト教)の聖地であったために、様々な問題をかかえていて特に混乱が激しかったからです。国連としてはエルサレムを誰のものにもしたくなかったんだと思います。
イスラエルは自らの首都をエルサレムと言ってると言いましたが、そういう背景があるので、国際社会においてイスラエルの首都はテルアビブという都市となっています。
なんでこんなことになった?問題の背景に欧米列強の影
キリスト教とイスラム教の戦争「十字軍遠征」をはじめ、大昔から沢山のことが重なり合って現在のイスラエルは混乱地になってしまったわけですが、ここでは近代史をご紹介します。
時は第一次世界大戦。当時のパレスチナは同盟国側のオスマン帝国の植民地でした。対する連合国側のイギリスは戦争で勝つために、パレスチナにいたユダヤ人にこんなことを言います。
「イギリスに資金援助してくれたら、戦争で勝った後パレスチナをお前達の土地にしよう。」
そして同じ頃に、イギリスは敵対するオスマン帝国の弱体化を図り、パレスチナを含むアラブ系の人に対してもこんなことを言います。
「イギリスの味方をしてくれたら、戦争で勝った後パレスチナをお前達の土地にしよう。」
これは大問題で、イギリスはユダヤ人とアラブ人双方に同じ場所での建国(的なこと)を約束してしまいます。
さらに驚くべきことは、結局イギリスは両方の約束もなかったことにし、同じく戦勝国だったフランスと周辺地域を分け合うことにしました。
このイギリスの三枚舌外交が昔からの混乱をヒートアップさせることになりました。
欧米列強とは一体なんだったのか、考えてしまいます。話は逸れますがアフリカのルワンダで起きた大虐殺も欧米諸国の植民地化が大きく関わっています。植民地化によって恩恵を受けた国もあるんでしょうけど、こうゆうことを知ると、一体なんだったのかと思ってしまいます。
実際に行ってみた。治安は特に問題なかった。
イスラエルの近隣国ヨルダンに行くと、現地の人の多くはイスラエルのことを「パレスチナ」と呼んでいることに気がつきます。
ヨルダン人はいわゆるアラブ系の民族なので彼らからすれば、あそこはイスラエルではパレスチナという理解なんだと思います。
イスラエルに住むムスリムも、イスラエルではなくパレスチナと呼んでいたし、自分たちのことをイスラエル人ではなく「パレスチナ人」と名乗っていました。またそれは、近隣アラブ系国家のエジプト・スーダン・サウジアラビアの人たちも同じでした。
別の国にいる時ですが、サウジアラビア人にエルサレム(国連直轄地)に行ったよって話をしたら「おーパレスチナにいったのか、ようこそアラブへ!」といわれたのは印象に残っています。
一方、アラブ系ではない人たちはこの地をイスラエルと呼ぶ割合が多かった気がします。
ただ、呼び方こそ違いますが、多くの場合はそこに攻撃的な意味合いが含まれているわけではありません。
基本はみんなとても平和的な意見を持っていたなあという印象です。ニュースでみるような過激派はほんの一部なんだろうなということを感じました。
イスラエル・パレスチナ問題について
イスラエル・パレスチナ問題について簡単にまとめてみました。歴史、民族問題などは人によって見解が大きく分かれますし、正直何が真実なのかわからないことがたくさんあります。何か間違えていることがあればご指摘いただけるとありがたいです。
僕はパレスチナ自治区を含むイスラエルにもヨルダンにも行ってきて、特に治安が悪いような感じはしませんでしたが、情勢はつねに変化するので危ないときは危ないというのが現状です。一刻も早く平和が訪れることを願っています。
下記は、僕が現地を訪れる前に読んだ本です。
わかりやすかったので、興味がある方はぜひご一読ください。
コロナの影響で今はいけないものの、ぜひいつか、
現地に足を運んでみて頂くことをおすすめします!
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