真剣に遊ぶ旅

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【くそざっくり説明】ところでイスラエルって何なの?パレスチナってなんなの?etc...

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連日ニュースや新聞で目にする「イスラエル」「エルサレム」「パレスチナ」などの言葉。何となくあぶねーということはわかっていても、根本的に何が問題なのか、そもそもどこにあるのか、などなど実はあまりわかってないって人、結構いますよね。大丈夫です。みんなそんなもんです。とゆーことで、この辺りの話について超絶基礎的な情報のおさらいをしていきます。滞在した時の体験談も踏まえてお話しますね。是非ご参考に!

 イスラエルとは?

イスラエルは「国」です。国際的に承認されている国です。大雑把にいうとインドよりは西、でもヨーロッパよりは東でアフリカよりも東、つかトルコの下、みたいな感じです。

地図でみると、ココです。

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ココのココです。

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これがイスラエル。周りにはレバノン、シリア、ヨルダン、エジプトといった国たち。なんかちょっと怖いって感じっすか?

イスラエルは1948年にできた比較的新しい国。約2000年前、ここに住んでいたユダヤ人は色々あってこの地を終われる身となり、ずーっと世界各地で散り散りに暮らしていましたが、「やっぱり自分たちの国が欲しい」ということで第二次世界大戦後に今のイスラエルがある場所に戻ってきて建国を宣言しました。

「ユダヤ人」とは、、めちゃめちゃ端折って超絶簡易に説明すると、ユダヤ教を信じる人たちを指します、とゆうかこの記事ではそうゆうことにして一旦説明させてください。なんで、イスラエルの国旗にはユダヤ教の伝統的なシンボルがどかっと描かれています。

(ユダヤ人を正確に定義するのが簡単じゃないことはよくわかっています。興味ある方は調べてください!)

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ちなみにイスラエルが建国される前は、この地はパレスチナと呼ばれていました。

パレスチナ自治区とは?

よくニュースに出てくるパレスチナ自治区ですが、イスラエルの中にある2エリアを総称した呼び方です。

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一つはヨルダン川西岸のパレスチナ自治区、もう一つはガザ地区と呼ばれているパレスチナ自治区。

イスラエル建国前(パレスチナと呼ばれていた時代)、ここにはユダヤ人だけでなく沢山のアラブ系民族も住んでいて、彼らもまた自分たちのアラブ国家を作ろうとしていました。

第二次世界大戦後、国連がパレスチナにきて、パレスチナを①ユダヤ系国家②アラブ系国家③国連直轄地に3分割すると提案します(ユダヤとアラブ、お互いがお互いの国を作りたいからもめまくってたので)。アラブはこれを拒否した一方でユダヤは鬼の承認、そんでイスラエル建国を宣言。アラブとユダヤはもっと揉め始めます。これが中東戦争の始まりです。そんな混乱の中で、アラブ系民族が住み着き独自の政府を設立した場所が、今のパレスチナ自治区です。

イスラエルという大きなユダヤ系国家の中にある、アラブ系(イスラム系)自治区がパレスチナ自治区ということです。

エルサレムとは?

上で書いたパレスチナ分割案で③国連直轄地にあたる土地、それがエルサレムです。

イスラエル自身(ユダヤ人)は自らの首都をエルサレムと称してるものの、国際的にそれは認められていません(エルサレムはあんたのものじゃなくて国連直轄地でしょ、っていう)。ただ、第三次中東戦争(1967年)後はイスラエル側が実質的に管理をしてるみたいですけどね。。イスラエルとパレスチナ自治区のほぼ境界線上に位置してます。

とゆーかパレスチナ自治区の境界線、エルサレムを国連直轄にするがためにこんなうねってるんだろうね、きっと。

なぜ国連はエルサレムを直轄地としたのか。それは混乱激しいイスラエルの中でも、特にエルサレムが疑義生じまくりの土地だから。ユダヤ教、イスラム教、さらにキリスト教の3宗教の全ての聖地がここエルサレムなんです。だから昔からどんぱち絶えなかったわけで、だから国連はユダヤのものにもアラブ(イスラム教)のものにもしたくなかったわけで。

国際的にはイスラエルの首都はエルサレムではなく、テルアビブという西側の都市とされています。

なんでこんなことになった?

かの有名な十字軍遠征をはじめ、大昔から沢山のことが重なり合ってこんな混乱地になってしまったわけですが、ここでは近代のことだけを話します。

第一次世界大戦。パレスチナは同盟国(敗北側)オスマン帝国の植民地でした。

連合国(勝利側)のイギリスは、パレスチナに移り始めてきたユダヤ人にこんなことを言います。

「イギリスに資金援助してくれたら、戦争で勝った後パレスチナをお前達の土地にしていいぞ。」

そして同じ頃、イギリスはアラブ系民族に対してもこんなことを言います。

「イギリスの味方してくれたら、戦争で勝った後パレスチナをお前達の土地にしていいぞ。」

敵対するオスマン帝国の弱体化を図ったイギリスは、この地域に住むアラブ系民族にも目をつけました。

この時点で意味がわかりませんね。ユダヤ人とアラブ人にそれぞれ建国(的なこと)を約束した土地は同じ場所です。この時点で、少なくともどちらかの約束が破られることは明白です。

さらに驚くべきことは、イギリスは両方の約束もなかったことにし、同じく戦勝国だったフランスと周辺地域を仲良く分け合うことにします。

昔からの混乱に加えて、この三枚舌外交と呼ばれるイギリスの愚行がきっかけでユダヤ人とアラブ人はこの土地でますますもめることになります。なんなら今ももめています。欧米列強とは一体なんだったのか。。

旅での体験 

僕はイスラエルの東側に位置するヨルダンから陸路でイスラエルに入国しました。ヨルダンでは沢山の現地人と話しましたが、彼らのうちのほとんどがイスラエルのことを「イスラエル」と呼ばずに「パレスチナ」と呼んでいました。パレスチナ自治区のことを「パレスチナ」と呼んでいるわけではなく、イスラエルのことを「パレスチナ」と呼んでいました。ヨルダン人はいわゆるアラブ系民族だからです。イスラエルに住むムスリムは自分たちのことを「パレスチナ人」と名乗ります。

更に、それはヨルダン人だけではなく、この後出会う多くのアラブ系(エジプト人、スーダン人、サウジアラビア人)もみんなそうでした。国連直轄地であるエルサレムの写真を見せて「おーパレスチナに行ってきたのか!ようこそアラブへ!」的なことを言われたのはめちゃくちゃ印象に残ってます。

誤解して欲しくないのは、別に彼らが今でもユダヤをぶっ飛ばしたいかと言えば全くそんなことはなく(過激派の一部のみであって)、基本はみんなとても平和的な意見を持っています。そうやって教わったってくらいの違いだと思います。過激派ではない一般人なんて、みんなそんなもんです。

まとめ

はい、イスラエルパレスチナ周りの超超超基礎情報のおさらいは以上です。

歴史、民族問題等の話は人によって見解が大きく分かれると思います。また僕もあまり詳しいわけではないので間違ってるところもあると思います。

何か有ればご指摘いただけると幸いです!

ちなみに、イスラエルもパレスチナ自治区(ヨルダン川西岸)も旅行は基本的に全然行くことができます!僕はどっちも行けたし危ないことはなにも起きませんでしたー。ただ、時には催涙ガスが撒かれたり発砲事件があったりするみたいなんで情報収集はした方が賢明。

そしてガザ地区については、今の状況ではツアーでも組まない限りは難しいらしいです(現地人情報)。。

因みに、パレスチナは英語だとPalestine(パレスタイン。人によってはファレスタインみたいな発音)だからご注意を。

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テルアビブはめちゃくちゃ都会。


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